2011年5月30日月曜日

それは間違っていないよ…

五月に入ってから、
自分自身の急激な変容が続き、眠る時間の確保が課題の今日この頃です。


冬の疲れが出てくるのもこの時期みたいですから、やっぱり五月病って納得ですね…。


さて、今日は「正しい」と「間違っている」の定義について。



いつも思うのですが、陪審員って私にはできません。


裁判官という仕事を選んでいる人って本当に凄いなって思うのですが… 私には人を現世の法律にのっとって裁くのは無理です。



だって、「正しい」「間違っている」ということの定義が、万物の存在の根源の定義と異なるから。




私が、創造主から教えてもらった


「正しい」、「間違っている」ことの定義は、



自分を幸せにすることなら、なんでも正しい



というものでした。



自分が本当に納得して、幸せに向かっているときに行っていることは、全て正しいのです。


だから、「正しい」「間違っている」


という概念は人それぞれ異なります。



しかし、現代の社会には 何が正しくて、何が間違っているのか…という社会のルールがありますね。それに従って私たちは生きている。



その世界で生きる人たちを私は否定はしませんが、正気に申し上げるとその状態は、私は「嫌い」です。


与えられた、「正しい」「間違っている」尺度で長く生きていると、どうなるか。



「XXをしてはいけない」

「XXをすべきだ」



ということでマインドがいっぱいになります。


例えば、



☆ 嫌いな人がいることはいけないことだ (別にいいんじゃないの?)

☆ いつも笑顔でいなければならない (それは大変そうだ…)

☆ 他人の視点を理解しなければならない (それがいつもできたら仙人だと思います)

☆ いつも身体に良いことをしなければならない (ストレスを溜めるほどやる必要はない…)

☆ 人を傷つけてはいけない (人を傷つけたことのない人なんて居ないと思います)

☆ 怒りの感情を持ってはいけない (怒りはとても重要な感情です)

☆ 人が幸せになるようなことをすべきである (先に自分の幸せを追求したほうが、他人も幸せにできると思います)



【シータヒーリングのネタだと…】

☆ 課題が見つかったら掘り下げなければならない (やりたくなければ、やらなくて良いと思います)

☆ 契約がみつかったら解除しなければならない (無理にやっても解除はできません…)




極論ですが…

例えば、皆さんは 子供に対して


「どうして人は人間を殺してはいけないの? だって大人は戦争する時に人を殺すんでしょ?」


「どうして動物をいじめてはいけないの? 僕、この前 馬にのっている人が、そのお馬さんを鞭で ものすごい叩いていたのを見たよ」


って言われたら、どう説明するのでしょう?



私には、


「あなたが、本当にそれが必要と思うなら、やっていい。後悔だけはしないようにね…、自分が苦しむから」


としか言えない。








「XXすべき」「XXしてはいけない」

このように思っている人の頭の中は、どうなっていくか?




そうしていない人(自分)を批判し、否定するようになります






「やるべきことができていない自分」「やっていはいけないことをしてしまった自分」に対する罪悪感が生まれてくる。



「やるべきことができていない相手」「やっていはいけないことをしてしまった相手」に対する怒りや恐れが生まれてくる。




それは、苦しいですよね・・・。



どうだろう?


自分の中にある、


「やるべきであること」

「やってはいけないこと」


それを全て燃やして捨ててみては…。




そして、


「私は、心から、これが好き」

「私は、心から、これが嫌い」


に変えてみては。



嫌いがものがあったっていいじゃないですか。

それが分かることで、好きなことがわかるんだから・・・




それが心から分かった時、

人の




「私は、心から、これが好き」

「私は、心から、これが嫌い」




も受け入れられるようになるんじゃないかな?



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