2010年2月23日火曜日

狭い「視点」に囚われていませんか?



最近、多国籍の友人が増えてきた 今日この頃。彼らと話すたびに、しみじみと感じることがあります。

私の視点は、狭かった・・・


ということ。

これは、実はけっこう楽しい感覚ではあるのですけど。

アインシュタインの言葉に、
「常識とは、18歳までに身に付けた偏見のコレクションのことを言う」
というのがありますが、正にその通り。

例えば:

インド人と触れる機会が増えたので、あまり驚かなくなりましたが、最初 本当にびっくりしたのが


「ミカは、いままで何度死にそうになったことある?」


と聞かれたとき。(ちなみに、彼は4回あるそうです…)いったい、そういう世界で育った人たちはどういう風に世の中を見ているだろう?って思いました。



この話を南アフリカにいた経験のある友人にしたところ、


「人が死ぬのは、本当に日常のことだよ。車で、路上の浮浪者をはねてしまうのと、シカをはねてしまうのは同じようなもの。はねてしまった人を助けようとして車を出たら、間違いなく殺される危険地域もあるからね」


と言われた。



・・・しんじられない



そういう人からすると、電車で口をあけて寝ている日本人のほうが、よっぽど信じられないそうですが。「こんな安全な国ってあるんだ」って思うそうです。私も日本ほど安全な国ってないと思います。



まだまだあります。

モルディブにいったとき、衝撃を受けたのが




「ねぇ、皆 何にお金を使っているの?なんで、そんなにお金を稼ごうとするの?」




という質問。その他、別のアジア圏の女の子がいたので、「お買いもの」が話題だったのですが。そりゃ、お金があれば服も沢山変えるし、遊びにもいけるし、みたいな話題へ…すると、


「でも、服が沢山あって何かいいことあるの?」


と素で聞かれた!
うーーーーーーーん、確かに…突き詰めて考えると、よくわからん(笑。
こんな世界もあるわけなのですね。


ここまで、視点を振られてしまうと


ビジネスの世界で「ああだ、こうだ」といってフラストレーションを溜めたり、「○○すべきだ!」と頑なになっている人をみていて、なんだか力が抜けてしまうこともあります。


日本の大企業批判とか。

政府への批判とか。
意思決定のスピードが遅い、このままだとイノベーションは起こらないという意見
郷に従わない 欧米人に対する批判
勤務中に寝ている人に対する批判…






それぞれが、正しいようにも聞こえる。
でも、どんなに説得力があったとしても、それは一つの視点からの意見。



しかも、私は何かに対する批判的な熱弁をふるっている人をみると、いつも思います。


人が相手を批判したり、「間違っている」という議論をするときって、


自分に「都合の悪いことが起こっている」とき




が多いです、本当に。
残念なのですが、そうだと思います。(少なくとも、私の周りでは)


自分にとって、
「信じられない」こと。

つまり、自分の常識からすると「信じられない」仕打ちを受けたり、
不快な気持になると、「あれはありえない!」となるわけです。


でも・・・。本当にそうなのでしょうか?
別の視点に立ってみると、急に 怒りを感じていたことがバカバカしくさえ

なってくることがあるように思います。


狭い視点に囚われていると苦しい。
苦しい思いをしているときは、私たちは窮屈な部屋に自らを押しこめていることが多い気がする。


別の視点に立ってみることは、自分を解放し楽にすることと同じではないかと思うのです。

今いる部屋から出てみたら、何かが変わるかもしれません。































































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